日本豆腐の故郷

昔の豆腐造り

中国の歴史 中国との姉妹都市 安達町の豆腐 ホームページ


中国豆腐村の春

 豆腐の故郷、中国の中でも、中国人観光客が豆腐を求めて訪れる町があるという。准南市のはずれにある大泉村、別名、中国豆腐村だ。約6百世帯の村で80戸が豆腐を作っているという中国豆腐のメッカ。伝説の豆腐発祥の地でもある。

 桜の東京から菜の花の上海へ着いた。菜の花から菜種油が絞られる頃、今度は大豆が植えられるのだろうか。大豆は日本へも運ばれて豆中国地図腐となるはず・・・。中国から日本へ伝わった豆腐は、いまだに母国とつながっているのかもしれない。
 目ざす准南は豆腐の発祥地といわれ、安徽省中部に位置する。紀元前2世紀、漢の高祖・劉邦の孫、劉安王が治めた地で、16世紀に『本草綱目』に「豆腐の法、准南王劉安より始まる」と記されたのが発祥伝説の由来である。
 一方、豆腐は唐代に誕生したという説もあり、遊牧民族の乳製品を漢民族がアレンジし、大豆を使って植物性チーズをつくつたという。だが、現実に、准南に伝統手法を伝える豆腐村があると知り、興味が湧いた。村に数多く豆腐屋があるが、それぞれ生計が立っているそうな。
流通の激変、後継者難、大豆の確保などで青息吐息の日本の豆腐屋さんからすれば夢のような話である。
 それにしても、准南のなんと遠いこと。上海から六時間も突っ走ってきたのにまだ着かない。頼みは上海から一緒の通訳・李さんと運転手・李さんの気のいい”李コンビ”だが、彼らもさすがに口数が減ってきた。
 夜10時。ようやく、静まりかえった市内に入る。

 
自転車で豆腐売り

 早朝。ドドドツという音に起こされた。石を掘っているのだという。町に出ると、行き交う三輪車の荷台には採掘された漬物石大の石。はは−ん。石しか産物がない土地ゆえに、豆腐伝説で町おこしをしようともくろんだのだろうか。
 というのも今朝、ホテルで知ったのだが、97年に准南で豆腐祭が開かれた際、豆腐村が誕生したようだ。地図に豆腐村が載ってないのは観光客向けのニックネームだからである。
 ともあれ、八公山の准南王の墓へ向かう。ふと窓の外を見回すと、ちょうど2台の自転車が連れだってやってくるところだった。豆腐屋だ。荷台の両脇で揺れている大ざるには豆腐が詰まつているに違いない。
 それが豆腐村の住民との出会いだった。准南まで売りに出かけた帰りだそうで、のぞきこんだら、ざるは空っぼだった。カーキの上着に白いシャツが李傳新さん。日焼け頗に青いシャツが胡志祥さん。幼なじみが隣同士で豆腐屋をやっているらしい。
 村へ帰る2人を追いかけていくと、朱塗りの大きな門があった。竜宮城の入口のようなド派手な造りである。「中国豆腐村」と書かれた金びかの扁額。豆腐祭のときに建てられたメモリアル・ゲートである。
 門をくぐると、そこは桃源郷だった。レンガの家並みが春の日を洛びている。風呂屋、小学枚、小屋がけのお粥屋。犬と子供たちがたわむれ、屋根の向こうに菜の花、柳、麦畑。泉で洗濯する女たち。散歩する老人。
 村は人口3千人。半農半豆腐屋の家が80軒、他の家は石の採掘が仕事である。

 
生絞りでつくられる豆腐

 午後四時。李さんは家族と豆腐作りにとりかかった。明け方に起きる日本の豆腐屋とは、ちょうど半日ずれている。李さんが元気なのは睡眠が足りているせいでもある。
 仕事は水汲みから。どの家もいっせいに始めるので、泉は大賑わい。といって、水をこぼしたり、無駄に使ったりする人は皆無。清らかな水でなければ豆席は作れない。この水あっての村なのである。
 鶏や豚の声が聞こえる納屋が仕事場である。李さんは水に浸けておいた自家製大豆をミキサーにあけ、豆乳を絞り始めた。10年前までは石臼びきだったと開いて、復活させるように提案してみたが、笑われただけ。安寧な時間を刻む豆腐村でも、機械化は避けられないのである。
 うれしいのは生絞りで作られていること。生の大豆をすりつぶして、そのまま絞る手法である。日本では効率最優先だから、大豆をすりつぶしたら加熱し、エキスをすべて絞り尽くすのが普通だ。でも、生絞り法のほうが大豆の味も栄養もストレートに出てうまい豆腐ができあがる。
 ちなみにおからは豚の餌で、村では食べない。准南王もおからの研究までは手が回らなかったのだろう。
 そのうちに、大豆油とかまどの灰を練り混ぜたものを手にとり、豆乳に混ぜ始めたのにはびっくり。灰は、元は燃料にした大豆の枝木である。日本ではとっくの昔に忘れられてしまつているが、これは天然の消泡剤なのである。
 李さんが石膏の粉を計り、水に溶き始めたときも当惑した。石膏は石膏像を連想させるだけで、食欲には結びつかない。しかし、中国は天然石膏が豊富だし海が遠いので、にがりではなく、これを凝固剤に用いることが多い。成分的には硫酸カルシウムで、なめらかに固まる。そういえば嵯峨野の有名豆腐店は石膏で固めるそうだ。なんと准南と京都は石膏で結ばれていたのである。
 次が見ものだった。水で溶いた石膏の桶を左手で持ち、右手の桶には熱々の豆乳。かめの中に同時にバシャツとぶちまけると、みるみる固まり始めたのである。衝撃によつてすばやく混ぜ合わせ、スムーズに凝固させるのは豆腐づくりの鉄則。日本で、にがりを打ったらただちに撹拌するのもそのためである。それを水芸のような一瞬の技にしているとは。さすが元祖と唸るしかない。
 できたてを茶碗にすくつてもらつた。純白。ミネラル味。豆の香りも野太い。水気を含んだ固まりたての、いわゆる寄せ豆席でもこうなのだから、一晩しっかり水気を切ると、相当に石膏臭い味に仕上がることになる。野菜と炒めたり煮たりすればおいしいが、湯豆腐には合わない。中国料理向けなのである。
 翌朝七時。完成したざる豆腐は厚さ五センチ、直径50センチの円盤状。その大ざる4個分を自転車に積むと、李さんは得意先のレストランに急いだ。「なめらかでいて弾力のあるのが上等」とのことで、切り分けた一切れをお手玉のように放り上げてみせてくれた。崩れもせず、掌で揺れている豆席は、豆乳ゼリーのようであった。

別冊サライより抜粋


中国との姉妹都市

 豆腐の故郷をたずねて

平成12年8月

 そこは地の果てまでも菜の花の黄色い絨毯を敷きつめた、巨大な大地の中でひっそりと、しかし逞しい息吹を感じさせながら、悠久の時を刻み続けていた。
 前163年、前漢の高祖劉邦の孫、劉安が准南王として准南国(安澂省准南市くに優れた八人を選抜し、不老長寿の食物を研究させていた。その時偶然できたのが豆腐である。豆腐を食した准南王は、いたく満足して八人の功績を讃えこの場所を八公山と命名、八公山の豆腐として今に伝えている。
 私達は、空路上海に入り、車に乗り換え南京に辿り着いた。明朝六時にホテルを車で出発、見渡すかぎりの「菜の花畑」のなかに、真っすぐ伸びる高速道路を西方に向かって五時間ぐらい走ったろうか、そこが、我々のめざした准南市である。私達は、土地の人に聞きながら、准南市人民政府を捜し、訪問することになつた。中国の友がアポイントを取ってくれてたらしい。さっそく担当者が現れ会議室らしき処に案内された。数人の課長及び部長クラスの人と名刺の交換を行ない、訪問の趣旨を説明した。まず、私の町の地理的状況、そして、町おこしで豆腐を取り上げたいと思っていること。准南市における豆腐の歴史を知りたいこと、そして、世界豆腐祭りのこと等、話し合っているうち私の方から柿妹都市の希望を持ち出してみた。現在、准南市にはかなりの数のマスコミが取材し、或いは取材申し込みもあり、また、観光客、豆腐業界の人たちが多数訪れているとのこと、しかし、具体的に柿妹都市の話は最初らしく、関心を持って、すぐ政府幹部に連賂を取ることになった。私達は、昼食を招待して頂いて、八公山、中国豆腐村を案内してもらうことになった。まさに豆腐村は、ゆったりと、しかし遑しく悠久の時を刻んでいた。そこに広がる風景は、日本では失われた、日本の原風景であり、心の通い会う精神が息ずいていた。これだ、これを我が安達町に移植できれば、町は生まれ変われると確信した。
 私達は、ホテルに戻ってくつろいでいると、市政府の幹部が晩餐会を開いてくれるとのこと、さっそく案内されて行くと、中国共産党准南市委書記(最高幹部)陳氏が出迎えてくれているではないか。迎賓館のような建物に入ると、秘書長、副市長、はじめ十人ぐらいの幹部とスタッフがおり、歓迎のことばがあり、こちらはあわてて謝辞をのべることとなった。書記との会談では今後技術交流、文化交流等、幅広い交流を希望しているとの話があった。私は、豆腐祭りの件に触れどのようにして行なわれているのか質問したところ、現在、准南市、台北(台湾)ロスアンゼルス(米国)で同時に九月十五日に行なわれているとのこと、もし日本で我々が行なうことは可能か、との問いに、世界豆腐委員会で承認を受けてOKだということである。今年は間に合わないので、准南市がインビテーション(招待状)を出しても良いとのことである。
 私達は、始めて食するような数々の豆腐料理を次々と運びこまれる中で大歓待を受け、夜おそくまで宴は続いたのであった。
 全国で、地域活性化を競っている今、町おこしを行なうといってもなかなかうまく行かない。アイデアの競争である。私は、前回「る・問答」の紙上において豆腐の提案をさせて頂きました。ぜひ一人でも多くの町民の皆様と力を合わせて町おこしをしたいと考えております。行政、商工会のバックアップも是非お願いしたい.日本唯一というものを作れるチャンスではないのでしょうか!!
 終わりに九月十五日の豆腐祭りには、仲間とともに、准南市を訪問すべく準備を進めますので、参加して頂きたい。

 富樫三由


安達町の豆腐造り

商標登録出願完了

平成12年8月4日付けで下記の通り商標登録済み
出願種別  商標登録願
整理番号  TT-30-01
商標名   日本豆腐の故郷
区 分   第29類
出願日   平成12年8月4日
出願番号  商願 2000年第86227号

以上によりこの商標を許可無く使用を禁止します。

 安達町では、富樫三由を代表としてこの豆腐に関するプロジェクトを推進して行きます。今後このホームページにて公開しながら販売してしきます。

上に戻る